ゲーセンで絡まれたスロプロに
スロットの弟子入りを志願した僕は、
当時はハマっていた競馬ゲームそっちのけで
お店にあるスロットを打ちまくりました。
当時打っていたのは、
〇クランキーコンドル
〇CCエンジェル
〇タコスロ
〇アステカ
〇ワードオブライツ
〇ニューパルサー
〇ウルトラマン倶楽部
〇サンダーV
〇バーサス
〇初代アラジン
〇ゲッターマウス
パチンコは
〇初代大工の源さん
〇初代モンスターハウス
〇フィーバーゴースト
〇ギンギラパラダイス
〇フィーバーパワフル
などなど、当時を知る人からすると
それだけで飯が食えてしまうほど
脳汁が出るような機種ばかり。
(他のパチンコは名前を忘れました)
当時はパチンコよりもスロット派で
その中でも断トツで打ち込んだのが
クランキ―コンドルであり、
あらゆる技術介入のすべてを
ほぼ完ぺきにマスターしていました。
自称スロプロ高校生から誘いを受けるほど
連日のゲーセン通いで僕の目押しスキルは
上がっていました。
俺も一緒に行きたいんですけど!
さすがに責任持てないと言って
断られちゃいましたけどね。
そして・・・
Contents
悪夢の高3夏休み、パチンコ依存症で人生が破滅した日
中学を卒業した僕は高校生になり、
本格的にパチ屋でスロットを・・・・
というわけにはいかず、
しばらくは部活を頑張って続けていました。
新しい友人も増え、
順風満帆な学生生活を過ごしていたんです。
高校3年生の1学期までは・・・。
迎えた高3の夏休み、
土日=部活だった日々から一転、
急にやることがなくなってしまいました。
まわりのみんなは受験勉強だと
必至に予備校へ通ったりしていましたが、
大学へは推薦で行くことを決めていた僕は
受験とは無縁の自由な暮らし。
要するに“ヒマ”なわけです。
そうなると行く場所は1つしかありません。
そう、パチンコ屋です。
もっと恋愛とか旅行とかバイトとか
他のこと時間を使えばよかったのですが、
生まれてからずっとパチンコに関連する
暮らしをしてきた僕にとっては、
やっと堂々とパチンコ屋に行ける!
って喜びの方が強かったんですよね。
(高校生は入れませんが(笑))
夏休みに入ると
朝起きてパチ屋に並んで、
適当な台に座ってお金を入れ
出たら実力、
出なければ店が悪い、
みたいな感じでその日その日の
勝った負けたに一喜一憂しながら
毎日を楽しく過ごしていました。
パチ屋には3年前にピークを迎えていた
クランキーコンドルの姿はなく、
代わりにあったのが大花火という
BIG1発1万円の大量獲得機でした。
©アルゼ
パチンコは大工の源さんやモンスター
ハウスなどの後継機が続々とリリースされ、
スロパチ業界が30兆円市場に向け
グングン成長していた時期です。
僕はゲーセンで鍛えたスキルを利用して
技術介入要素の強い大花火で稼ごうと
考えていました。
当時、僕の持っていた考えでは
スロット=目押しが上手い人が勝つ
という認識でした。
大花火はビタ押しという
狙った場所に図柄を揃える
技術を持っていれば設定1でも
機械割100%を超えていたので
理論上は勝つことができると
言われていたんです。
だからビタ押しのできる僕は
大花火=勝てると勝手に思っていました。
んが・・・
結果はお察しの通り、散々でした。
設定も期待値も関係なく、
とか
とか
といった感覚的な立ち回りを
ひたすら続けていました。
せっかく学んだ設定判別方法も
機種が変われば通用しません。
僕が唯一頼れたものは
自分の技術と感覚だけだったのです。
お金がどんどん失われる恐怖は日常にはない感覚
当時はスロットを中心に打っていましたが、
その内容はとても悲惨なものでした。
当時はAタイプと呼ばれる機種が多く、
単純に設定が高いほど当たりやすく、
素直な出玉になりやすかったんです。
つまり、狙うべき台としては
良く当たっていて出玉のある台、
というセオリーだったのですが、
当時の僕はそんなセオリーは
完全シカトのオカルト全開勝負。
とにかくはまっている台を狙い続け
そろそろ当たるだろうといった、
まったく根拠のない立ち回りを
ひたすら繰り返していたのです。
普通に考えてハマる=低設定=勝てない、
という図式になるのですが、僕は
ハマる=そろそろ当たる=勝ち逃げ、
出てる=そろそろハマる=勝てない、
という考えだったんです。
笑っちゃいまいますよね?
それは負けるでしょ!って。
でもその時は分からなかったんですよ。
どうして自分が負けているのかが。
その結果、お店側が一番打って欲しい
設定1の台を好き好んで打ちまくり、
連戦連敗を繰り返していきました。
最初は楽しんでいたスロットも
徐々にストレスが溜まり始めるようになり、
机にしまってある貯金箱の残高が
日に日に目減りしていき、
そういったことを自問自答しながらも、
目が覚めれば行くところもないので
ほとんど無意識の状態でパチ屋に行き、
1,000円打っては台移動を繰り返し
早ければお昼過ぎにはお金が無くなり、
30分かけて自宅までお金を取りに戻って
再び勝負を挑んで夕方にまた負ける、
そんなことを夏休み中
繰り返していた結果・・・
やってきたのは“破産”という現実でした。
↓↓↓
“お前が高3くらいだったら一緒にパチ屋に行ったんだけどなぁ”