定期代としてもらった1万円をもってパチンコ屋に・・・その選択が人生を変えた

パチンコ&スロットにハマったおかげで
お金や友人や信頼や青春といった
かけがえのないものを失ってしまった
高校~大学時代の自分。

やり直すにもその気力すら失い、
周囲のアドバイスをひたすら無視し続け、
どんどん自暴自棄に孤立していく様を
誰一人として知るものはいませんでした。

せめて彼女(恋人)でもいたら
少しは変わっていたのかもしれませんが、
当時の僕を好きでいてくれる人なんて
世界中探してもいないと思ってましたし、
何より自分自身が恋愛を怖がっていました。

でも、そんなことは絶対人に言えないし
自分でも認めたくなかったので

さんパパ
パチンコやスロットでで勝つまで彼女は作らない

いたら稼働できなくなるし、お金がって無くなるし

みたいに強がっていたんですよね。。。

Contents

学生だから助かった。借金してたらそれこそ人生終わりだった

パチンコ借金

パチンコやスロットで連日負け続けた僕は
他の手段でお金を稼ぐということに対して
一切の興味がなくなりました。

さんパパ
パチンコやスロットなら1日で10万勝つこともある。

万枚出したら20万でしょ?

バイトなんかやってられないよ。

そんなことを真顔で言うくらい
根本的な思考が完全にショートし
ぶっ壊れていました。

さんパパ
パチンコで勝てればすべてが上手くいく

1回大勝ちできれば人生変わる

ただただ、その思いを背負い、
パチンコやスロットで勝つことだけを
夢見て生きる日々でした。

が・・・

現実は悲惨なものでした。

周りの友人はバイトを始め、
サークルに入って新しい友達を見つけ、
大学生活を満喫しています。

俺、あの子と付き合うことになったんだ(笑)

と連絡をしてくる友人もいました。

僕は自分が理想としていた学生生活を
彼らが満喫している姿を羨ましく思いました。

友人の彼女を見たときに
自分はみじめだなって思いました。

陰でみんな自分のことを馬鹿にして
いるんじゃないだろうかと思いました。

無理やり笑顔を作って話してましたが
内心は早くその場から逃げ出したかったです。

でも、逃げ出しても行く場所がありません。

その頃の僕は定期を解約してしまったので、
学校にすら通えない状態まで陥っていました。

彼女どころか友人と遊ぶお金、いやいや、

さんパパ
明日はどこで時間を潰そうか?

公園ならお金もかからないし人目にもつかないなぁ・・・。

そんなことを毎日考えていました。

定期が無いので学校に通えないのですが、
家にいると家族に怪しまれるので
自宅は毎日決まった時間に出ます。

友人に代筆してもらって学校には行かず
そのまま30分以上歩いてパチンコ屋に行き、
隣のゲーセンや公園で時間を潰して
適当な時間になったら帰宅する、
という生活を送っていました。

パチンコ依存症末路

このころの僕は間違いなく
人生のどん底だったと思います。

お金はなかったし、
孤独だったし、
夢もなかったし、
勉強もできなかったし、
すべてが無気力で、
何もかもが嫌でした。

借金こそしなかったものの、

もしお金を借りるという選択肢があれば、
100%借金地獄に転落していた

と断言できます。

パチンコやスロットで負けて
布団にくるまり泣いた日もありました。

負けすぎて死にたくなったことも
数えきれないくらいありました。

パチンコやスロットがやめたいと
何度も心から思いました。

なんでこんな家庭に生まれてきたんだと
自分の運命を呪ったこともありました。

今考えればただのバカですが、
ギャンブル依存症に陥った僕は
冷静な判断ができなくなっていたのです。

頼れる友人も彼女もいなく、
家族にさえ本音を話すことができず
僕はどんどん孤立していきました。

当たり前ですが、パチンコで負け続けて
得られるものは何一つないです。

金銭面、
精神面、
健康面、
人脈、
価値観、

そのすべてが崩壊していきます。

僕は高校3年から大学1年の中ごろまで
ひたすらスロットとパチンコで負け続け、

お金を失い、
あらゆることへのやる気を失い、
不眠症に悩まされたり、
猛烈に歯が痛くなったり、
ストレスで以外なくなったり、
友人との付き合いすらできなくなりました。

さんパパ
知り合いなんかいなくてもいい

俺は一匹狼で生きるんだ

自分のくだらない小さなプライドだけが
どんどん高くなっていきました。

もう一度言います。

パチンコやスロットで負け続けると
あっと言う間に人生が崩壊します。

サラリーマンであれば
会社で働いて給料をもらう目的が
パチンコやスロット代にあてるため、
になってしまいます。

そうなると給料日の前にお金が無くなり、
コンビニやパン、カップ麺で食事を済ませ
健康にも悪影響が出る人もいるでしょう。

そしていざ、給料日になると貯め込んできた
ストレスを爆発させるためにパチ屋に行き
一瞬で根こそぎ刈り取られてしまうのです。

そして

また1ヶ月タダ働きかぁ

と精神的に追い込まれて、
さらに追い込まれると
借金まで背負ってしまうと・・・。

僕はそんな人をたくさん見てきました。

僕もそういう経験を
うんざりするほどしてきました。

だからパチンコやスロットで負けて
苦しんでいる人の気持ちがよく分かるし
余計なお世話かもしれないですが
助けたいとも思います。

パチンコやスロットで勝つと
人生が一変する、

ということも知っているから・・・。

母親からもらった1万円が人生を変えた

パチンコ依存症克服のきっかけ

ある日、学校の定期代として
母親からもらった1万円を握りしめ、

1000円だけと決めて
スロットを打ちに行きました。

負けてしまえば定期を買うことができず、
学校に通えなくなくなってしまうので、
ある意味、留年覚悟の大勝負です。

学校に行けなければ単位が取れず、
留年となるので両親にもバレます。

スロットが原因で学校を留年したとなれば、
さすがの両親も怒鳴り散らしてきたと思います。

(退学や学費を自分で支払うことに
なったかもしれません。)

しかし、当時の僕はそういったことに
頭が回るはずもなかったので、
1万円を受け取ると何も考えずに
いつものパチンコ屋へと向かいました。

もちろんお目当ての台などなかったので、
いつものように適当な台に座るだけです。

で、座った台がコレ。

パチンコ依存症克服 ギンギン丸
©ロデオ

ロデオが出していたギンギン丸という台。

なぜ、この台に座ったのか、
はっきり言って分かりません。

単なる偶然。

それこそフラ~っと宝くじコーナーに行って
何万枚もある宝くじの中から1枚ください
といって購入したようなものです。

そしたらその宝くじが当たってしまった。

それ以外に言葉がないのです。

今までのお約束のパターンは、

心に決めた1000円が2000円になり、
2000円が5000円になり、
5000円が1万円になって全部負ける、

ってパターンなのですが、
この日だけは違いました。

なぜかこの台がすぐに大当たりし、
そのまま夜まで出続けたのです。

どのくらい出たかというと、
その日1日でサラリーマンの月収分くらい。

15,000枚越えの出玉を確保したので
金額にして30万円以上のお金を勝ちました。

つい今朝まで、
学校に行くお金すらなかった人間が
たった半日で30万円という大金を
手にしたのです。

その結果、どうなったと思いますか?

普通なら興奮して
いろんな人に言いまくったり、

今まで我慢してきたものを買いあさって
散財したくなると思うのですが、

このときの僕はまったく別の
依存症患者ならではの感情
を持っていました。

そしてこの感情こそ、
僕が1年に渡り地獄の暮らしを抜け出す
最も重要な気づきだったのです・・・。

続く・・・
↓↓↓

さんパパオリジナル!『本当にあったパチンコ依存症物語』
第1章【パチンコ依存症物語】たかがパチンコに人生を狂わされた高校生の話
第2章 パチンコ依存症になった原因は幼少期の頃の家庭環境だった?
第3章 パチンコ依存症で負け続けていた時の立ち回りは設定1の狙い撃ちだった
第4章 パチンコ依存症によって失われたもの&やめたくれもやめられない恐怖
【番外編】パチンコ依存症チェックリストでパチンコ依存症度を確認してみよう!
第5章 定期代としてもらった1万円をパチンコに・・・その選択が人生を変えた(今ココ)
第6章 パチンコ依存症をついに克服!?負け組からの脱出と訪れた夢の時間
第7章 パチンコ依存症の後遺症?漫画喫茶でカイジを読んでたら就職が決まった話
第8章 パチンコを打ち続けた代償がついに来た、そして夜逃げした友人・・・
第9章 念願のパチプロ生活がついに実現!24時間がなくなるからオール自由!

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ABOUT US
さんパパ
パチンコ&スロットの二刀流で2000万以上勝ち続けた元専業パパ。19歳に勝ち始めて以後、15年以上プラス収支継続中。とはいっても最初の1年間は負け続きで、稼働を始めた高校時代に100万以上の負債を負って引きこもりになるなど、勝ち組と負け組の両面を知る。現在はフリーランスとして活動しながらパチンコやスロットで勝ちたいと思う人に向けてブログやメルマガ、オンラインコミュニティで情報を発信しながら自由に暮らしてます。