僕は18歳でパチンコ依存症になりました。
原因は幼稚園の頃から
親と一緒にパチ屋に行ってたからです。
小3の頃には目押しができました(爆)
©アークテクニコ
※人生で初めて目押しができたアニマル
僕がパチンコを始めたきっかけは
幼少期の家庭環境にありました。
僕の両親は若くして結婚したため、
経済的にあまり豊かな家庭ではありませんでした。
築20年以上の平屋でトイレは汲み取り式
トイレに落ちたらう○この中で死ぬんだな
って何度もビビった記憶があります(笑)
お風呂は何故か壊れていて
生まれて10年間その家で過ごしましたが
1度も自宅の風呂に入ったことがありません。
その代わり自宅から数メートル離れた
同じ借家に父親の両親と叔父が3人で
暮らしていました。
両親は共働きだったため、
僕は学校が終わると祖父母の家に帰り、
そこで食事や風呂に入って
両親が帰宅すると家に帰って寝るのです。
が・・・
残念ながら学校が終わって自宅に帰っても、
祖父母の家には誰もいませんでした。
何故か???
はい、そうです。
ばあちゃんがパチンコに行っていたからです(笑)
Contents
飛行機の羽モノで野球ゲームをゲット
僕が子供の頃は大人5と暮らしていましたが
母親以外の4人はみんなパチンコ好きでした。
両親は共働きのため自宅にいるのは
祖母だけでしたが、家事が終わると
パチンコに行ってしまいます。
そのため学校が終わって家に帰っても
誰もいないので、僕は祖母が通う
パチンコ屋にランドセルを背負って
帰るのが日課でした。
自宅の鍵は持たせてもらえませんでしたし、
友人にはそんな家庭事情をを知られたく
なかったので、途中まで友人と一緒に帰り、
別れた後、誰にもばれないようこっそり
パチンコ屋に向かっていました。
パチンコ屋に着くと
コインロッカーにランドセルを放り投げ、
近くのゲーセンで遊んでいました。
遊ぶといってもお金はなかったので、
ひたすらデモ画面のゲームを見ながら
時間を潰していただけです。
それでも楽しいこともありました。
ゲーセンには僕と同じ年くらいの子供が
何人かいて(両親はパチンコかスロット)
いつの間にか仲良くなりました。
調子に乗って近くあった公園にいって
夜遅くなるまで遊んでいると、
帰ろうと思って僕を探しに来た父親が
僕がいないことを心配し、
見つけた瞬間に鬼のような形相で
怒られたこともあります。
そんな家庭環境で育ったわけですから、
まぁ子供の頃からパチンコに興味を持ちますよね。
僕が初めてパチンコを打った記憶は
幼稚園の頃、真ん中に飛行機の役物がある
羽モノだったのを覚えています。
やり方はまわりの大人を見ていたので
当たり前のように知っていたし、
当時は子供が出入りしても怒られたり
しなかったので、祖母が出ている時は
その玉をもらって稼働していました(笑)
僕が人生で初めて交換した景品は
おもちゃの野球ゲームでした。
※イメージ図
ボタンを押すとボールが発射され、
それをバットで打つというシンプルな
ゲーム機でしたが、めちゃくちゃ
うれしかったのを覚えています。
小学生の頃はファミコンやスーファミの
ゲームソフトを交換するのが楽しみでした(笑)
ゲーセンで競馬ゲームにハマって絡まれた相手がまさかのスロプロ
©パチスロひとり旅
中学生になると部活で忙しくなり、
パチンコ屋に行く回数も減りました。
んが・・・。
残念なことに今度は新しくできた
ゲーセンに入り浸るようになったのです。
当時、ゲームセンターで爆発的な人気を
誇っていたのがスターホースという
競走馬を育てるメダルゲーム。
じいちゃんが競馬中継を見ていた
影響もあって僕はこのゲームに
メロメロとなりました。
毎日部活→ゲーセン→部活→ゲーセン
という日々を繰り返していましたが、
実はこのゲームめっちゃお金がかかるんです。
競走馬を購入するのにメダル40枚、
レースに出走させるのに10~30枚、
食事や調教をさせるのもメダルが必要で、
1,000枚程度のメダルがあっても
1日でなくなってしまいます。
当時はまだ中学生だったので
メダルを買うお金もなかった僕は
メダルを増やすことを決断、
当時あったメダル落としゲームで
必勝法を見つけて5万枚くらいメダルを
貯めまくったんです。
すると当然、目立ちますよね。
毎日ゲーセンでドル箱抱えてるんですから(笑)
で、事件勃発。
ある日、かなりガタイのいい高校生くらいの
兄ちゃん2人組に絡まれました。
そう言われて目の前にあったのは
当時のスロット業界に旋風を巻き起こした
クランキ―コンドルだったのです。
©ユニバーサル
スロプロとの出会いで人生が変わる
そういうとその兄ちゃんは
勝手にスロットを打ち始めました。
僕としてはかなり腹立たしかったのですが、
抵抗すればぶん殴られそうだったので
とりあえずその場でじっと見ていました。
当時はスロットで勝てるという概念を
まだ持っていない時期だったので、
そんな感じで考えていました。
しばらくして・・・
と彼が一言発言した先にあったのは
と呼ばれるリーチ目でした。
ほれ、ここに青7狙ってみ”
そう言われたので僕が青7を狙うと
あっさり7が揃いました。
まぁ、今のはたまたまBIGだったけど
バケの時もあるからガッカリしないように(笑)
彼はドヤ顔で台の説明をしていましたが、
僕には何のことかさっぱり分からず。
BIGボーナスが終了すると
彼はクレジットボタンを押して
メダルを全部払いだしました。
そして再びメダルを入れ
1枚入れたり2枚入れたりしながら
よく分からない行動をとり始めました。
この台の設定が分かるんだ。
そういって渡されたのは
雑誌の切り抜き記事でした。
そこにはクランキーコンドルの
設定判別に関する記述がされていて、
ある特定の手順を踏むと台の設定を
見抜くことができるというものでした。
ほらよ、ちょっとは増えただろ。
そういうと彼は残ったメダルを僕に手渡し
どこかへ行ってしまいました。
絡まれたはずの僕は
すっかりその高校生にほれ込み、
スロットについての知識を
根掘り葉掘り聞きだしました。
(それから定期的にゲーセンに来て
話すようになりました)
すると彼はゲーセンの
すぐ近くのお店で稼働しており、
¥
毎日1~2万円勝っては学校に行く、
という暮らしをしていると言っていました。
いわゆる学生スロッターであり、
当時の収入で月10~20万程度を稼ぎ、
財布はルイ・ヴィトンを使っていて
この人凄いな~って思いました。
僕は
すると彼は笑いながら
といって頻繁にゲーセンに来てくれたのです。
続く・・・
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